こんにちは、岡山市・倉敷市の中間で歯科医院をしている、歯医者の山下聡です。
岡山市立オリエント美術館で行われている吉村作治の古代七つの文明展に行ってきました。
4大文明をはじめとして、古代の遺産が一つに集まるのはまれなことです。
とくに、ここ岡山の地においては見逃すことができないイベントです。
なかなか時間が取れず、行けれないかなと思っていましたが、この日、やっと行くことができました。
われながら感心しましたが、各コーナーの年表に記してある国と王の名前がほとんどわかりました。
高校時代の勉強のたまものです。今回改めて7大文明の時代考証ができました。
なかでもやはり日本の縄文土器。
国宝の火焔土器には目を奪われました。完形っていうのがすごい・・・。
と、それ以上に興味深かったのが尖石遺跡の出土品がたくさん展示されていたこと・・。
高校の時、わがままを言って母の運転する軽4で連れて行ってもらったことがあります。
当時は博物館の周りの畑を歩いていると土器片がごろごろしていましたがいまはどうなんでしょうか・・???
その時目にした縄文土器に魅了され、家に帰って山から粘土層を取ってきて自分で作ったものでした。
こういった遺跡をまたゆっくりと訪れたいものです。
今日は午後から、校医をしている箕島小学校で歯の健康教室を行うため、オリエント美術館を後にしましたが、ちょっとだけ時間があったので、急ぎ後楽園へ。
やっぱりビンゴのハナショウブの見頃でした。
ハスの花も咲き始めています。
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こんにちは、岡山市・倉敷市の中間で歯科医院をしている、歯医者の山下です。
GW中、備中国分寺の五重塔の内陣が公開されているとのことで、行ってみました。
レンゲはちょうど満開。
備中国分寺五重塔は、弘化元年(1844)ごろに完成し、34.32mの高さがあります。この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔です。 また県内唯一の五重塔でもあります。
塔内は初層内部中央に心柱が立ち、四周に四天柱を据え、その内側に仏壇を作り、四如来像を安置しています。天井は格子状で天井板には55cm角大の欅の一枚板を使い、彩色画が描かれ、堂内をいっそう荘厳にしています。絵は全部で104枚あり、四天柱の脇にある4枚の天女図のほかは 季節の花々を描いた草花文です。国指定重要文化財。(引用)
像・馬・鳥などの動物に乗った金剛界の如来像
観光ボランティアの方のお話では、五重塔をお参りする方法があるそうです。
それは、、、
ます、内陣の如来像にお祈りする。
次に初層の四面、頭貫の上には、十二支の禽獣彫刻がはめこまれており、自分の干支を探し、お祈りする。
そして、尾楼の上には龍の彫刻が施されており、その中で1頭のみ火を噴いているものにお祈りする。。
というものです・・・。
頭貫の上の十二支の禽獣彫刻
さて、GW中はもうひとつ、隣接するこうもり塚古墳の石室も公開されているとのことでこちらも楽しみにしていました。高校のころは自由に入れたけど、今は玄室入り口に鉄格子があり、入れなくなっています。
と、残念ながら、昨日の雨で石室内に水がたまって、侵入禁止でした・・・・。
鉄格子越しに撮った映像。
本当は中に入れて石棺の奥から入り口が見えたのにね・・・。
ここへ来るとイザナギイザナミの黄泉の国神話を思い出しますね。
「亡くなった愛する者にもう一度会いたいと来てみたが、その体にはウジがわいていて驚いて逃げかえった・・・。」
そういう舞台にぴったりの横穴式石室です。
今回は残念でしたが、またの機会に期待しましょう。
こんにちは、岡山市・倉敷市の中間で歯科医院をしている、歯医者の山下聡です。
東北関東大震災で被災された皆様には心からお見舞いを申し上げます。
皆様の安全と一日も早い復興をお祈り申し上げます
昨日に続き、変な雲・・??(って、飛行機雲でしょうが・・・・)
このバッテンの意味するところは・・・・・・????
夕刻、吉備路へ。
ニュースで造山古墳が伐採してきれいになってるのを伝えていたのを思い出し、ちょっと寄ってみました。
約30年ぶり・・・・。
何処へ車を置こうか心配していましたが、
古墳近辺にちゃんと駐車場があり、すっかり整備されていました。
駐車場から見た造山古墳。たしかに伐採され墳丘のかたちがはっきりわかります。
造山古墳は自由に入れる古墳としては国内最大です。
こんにちは、岡山市・倉敷市の中間で歯科医院をしている、歯医者の山下です。
山陽町郷土資料館に行ってきました。
赤磐の歴史展を12月10日までやってるということで、急ぎ行ってきました。
こちら山陽町の遺跡に対しては深い思い出があります。
ちょうど高校の頃、山陽町団地の造成に伴い、遺跡発掘が盛んに行われていましたが、
その責任者の方が、同級生のお父さんでした。
そして、発掘間がない遺物を発掘事務所でていねいに見せていただきました。
そしてそして、岩田14号墳と用木山遺跡の分厚い発掘調査書と
何処から出たかわからないから歴史的価値のない
という遺物数点をいただきました。今でも大事に取ってあります。
ここの資料館は昭和53年に立ったと言いますから、
ちょうどその発掘をうけてのことだったのでしょう。
30年の歳月が経ち、改めて展示されている数々の遺物に改めて感動しました。
写真撮影禁止のところには、みたこともないような、鹿の埴輪がありました。
私が考古学から遠ざかっていた30年の間にも数々の遺跡が発見され、発掘調査が行われ、あたらしい事実や考えができていることに驚いています。
これが考古学の面白さですね。有史以前は確定されていないもの。
まだたくさん眠っている未知の遺跡遺物がこれからもどんどん発見されることでしょうね。
さて、その後備前国分寺跡によりました。
ここは2003年に発掘が行われたばかりだそうです。
礎石の上に立つ鎌倉時代の七重の塔の周辺が整備されていました。
ということは・・・・・
あたりを目を凝らしながら見ると・・・
こういった、布目瓦は奈良から平安時代のもの。
おそらく、国分寺の瓦でしょうね。
さっきの資料館でもっと詳しく見ておけばよかった~~~
遺跡めぐりはこういったたのしみがあります。
実家にはいろんなところで拾い集めた遺物が段ボール箱2個にぎっしりあります。
帰りに後楽園によって、紅葉2010最後の写真をパチリ。